あなたは「哲学」と「科学」の違いについて知りたいはずだ。しかし、自分で調べてもよく分からないのではないだろうか。
そこで、この記事では、誰でもイメージしやすい「愛」と「死」という現象を事例として使いながら、それぞれの違いを解説した。
要点を読むだけでもその違いは分かるはずなので、ぜひ軽くでも目を通してもらえると幸いである。
この記事に書かれていること
この記事に書かれていることを簡単にまとめると、下記のようになります。
もし、結論だけすぐに知りたいときは、本文「それぞれの違い」、及び「深掘り (愛と死)」の項目をお読みください。
なお、文中に出てくる人物名は、全体をコンパクトにするため「敬称略」で書かせてもらっています。
・哲学とは?→自分の実感を伴いながら考え抜き、言語化すること。物事の真実や意味を追求すること。
・科学とは?→世界に関する客観的な知識を得ること。実験データや資料を使い、論証するという手法が確立している。
・哲学と科学の違い→科学は客観的な事実を追求する学問。哲学は「死」など、科学だけでは答えられない問いに向き合う学問。
参考資料と記事作成方法
「哲学」と「科学」の違いについては、さまざまな立場の人が意見を述べている。この記事では、その中から、一般的によくいわれていることを私個人のフィルターを通してまとめた。
ただ、それだけではありきたりな内容でつまらない。
そこで、哲学者・中島義道の著書「哲学の教科書」の中にある、「哲学は科学ではない」の項目も参考にしながら、より踏み込んだ意見も後半で紹介する。
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哲学と科学の定義
ここでは、哲学と科学の定義について、それぞれの視点から解説する。
なお、哲学の定義については別記事でも解説しているので (関連記事参照) 、ここでは深く触れない。
したがって、より深掘りした情報が知りたい場合、「哲学と思想の違いとは?」の記事を読んで欲しい。
哲学
1 世界・人生などの根本原理を追求する学問。古代ギリシャでは学問一般として自然を含む多くの対象を包括していたが、のち諸学が分化・独立。その対象領域が限定されていった。論理学・倫理学・美学などの領域を含む。
引用元:https://00m.in/ZjhQN
2 各人の経験に基づく人生観や世界観。また、物事を統一的に把握する理念。「仕事に対しての哲学をもつ」「人生哲学」。
一般的によくいわれる哲学の定義は上記の通りである。1.は「学問の文脈」、2.は「日常生活の文脈」でそれぞれ使われる定義 (意味) なのは分かるだろう。
今回のテーマに関わりが深いのは、いうまでもなく「1」である。
「1」をより単純に説明すると、あらゆることの根本原理 (真実) を追求、それを言語化して語るのが哲学である。そして、広い意味でいえば、論理学や美学なども哲学の領域に含まれるということだ。
科学
一定の目的・方法のもとに種々の事象を研究する認識活動。また、その成果としての体系的知識。研究対象または研究方法のうえで、自然科学・社会科学・人文科学などに分類される。
引用元:https://00m.in/IsTFX
一般に、哲学・宗教・芸術などと区別して用いられ、広義には学問と同じ意味に、狭義では自然科学だけをさすことがある。
科学の定義は哲学に比べると、イメージしやすいだろう。科学と一言でいってもいくつかの分野に分けられるが、多くの人が真っ先に思い浮かべるのは「自然科学」ではないだろうか。
たとえば、自然科学の一つである「物理学」では、ある物事を測定、その事実を客観的に証明する。この「物事の事実を客観的に証明する」という態度は「科学」の大きな特徴である。
客観的に物事の事実を証明するからこそ、それを万人が同じように認識できる。反対に、哲学・宗教・芸術などは、必ずしも客観的なものではなく、「個人的な実感」を伴うこともある。
それぞれの違い
哲学と科学の違いを知るためには、哲学について理解を深めるのが早い。なぜなら、哲学について理解を深めれば、自ずと科学との違いが浮き彫りになるからである。
定義の項目でも軽く触れたが、哲学とは、ある意味では芸術や宗教と近いものを持っている。つまり、「必ずしも科学的な客観性が求められるわけではなく、個人の実感に重点が置かれる」ということだ。
ただ、たとえば (純粋な信仰対象としての) 宗教の場合、当事者が「神」を本気で信じているなら、それだけで十分である。言語化して説明できなくても問題はない。
哲学は上記のような個人の実感、曖昧で抽象的な事柄さえ、「言語化」してコミュニケーションを取ろうとする。そのとき、宗教のような単なる思い込みだけではなく、論理的に矛盾がない、まるで普遍的な事実であるように語らないといけない。
このような特徴を持つ哲学は、「科学と宗教の中間」くらいにある存在といえるだろう。科学はいうまでもなく、哲学のような「個人の実感」は排除される。なぜなら、広く一般化できない「個人の実感」について、科学的な意味で証明するのは難しいからである。
ここまでを別の表現で誰でもわかるようにまとめると、科学が主に対象とするのは客観的に測定可能な外の世界 (形而下≒物凄く単純化すれば物質的な世界) になる。
反対に哲学が主に対象とするのは客観的に測定できない内の世界 (形而上≒物凄く単純化すれば観念などの精神的な世界) となるのだ。これが、科学と哲学の大きな違いといえるだろう。
深掘り
ここでは、「愛」と「死」をテーマに、科学と哲学の違いについてより深掘りして解説する。
愛
科学と哲学の違いについてより踏み込んで理解したいなら、「愛」について考えるとよいだろう。
愛というのは、極めて個人的な、主観に満ちた感情である。個人的な感情であるがゆえに、科学的な意味で一般化して、客観的にそれを証明するのは困難 (違和感) がある。
中島義道は著書の中で、愛のことを、「個物の個物性に興味を抱く現象」といった。個物とは、他には置き換えられない、特別な一つのものといった意味を持つ言葉である。
たとえば、客観的に見て外見が悪くても、頭が悪くても、美的センスがなくても、親は子供を愛する。それは、親から見た我が子はかけがえのない「個物」だからである。
科学はこのような「個物の個物性」に関する意味や疑問には答えてくれない (答えられない) 。哲学も絶対的な答えを出せるわけではない。しかし、それでも考え続け、それを言語化しようとするのが哲学的な行為の特徴である。言い換えれば、それが科学との違いである。
死
ここまで読んできたあなたなら、「死」についても「愛」と同じことがいえるのが分かるはずだ。つまり、「個物」という観点から見れば、死について科学に答えを求めることはできない。
死の法的および生物学的定義は、一般的に心臓、肺、脳によって支えられている生命維持プロセスの「不可逆的な停止」を指す。
引用元:https://00m.in/HOhDM
上記は科学的な死の定義、その一例である。家族など大切な人が亡くなった、あるいは自分の死期が迫っているとき、上記の科学的な説明だけで納得できる人はほとんどいないだろう。
なぜなら、死を前にすれば、多くの人はその「意味」を考えるからである。そこには、一言ではいえない複雑な感情、感覚、思考などが渦巻いている。
同じような内容の繰り返しになるが、死も愛と同様、かけがえのない私 (あるいは大切な誰か) という「個物」を強く意識させるテーマだ。
そして、このような科学だけでは答えられない、永遠に答えがでないような個物的なテーマについて、ひたすら考え続けるのが哲学的営みである。これは、科学が踏み込めない領域であり、哲学と科学の大きな違いになっている。
科学が答えられない領域を思索するのが哲学
一言で科学や哲学といっても、その領域は多様化、複雑化している。そのため、その違いについては、さまざまに論じることができる。
そのような中、誰でも違いを理解しやすい方法の一つが「愛」や「死」について、それぞれの立場から考えてみることである。
愛や死は「かけがえのない私」という「個物」に関わる領域といえる。科学は多様な客観的知識を教えてくれるが、「個物」に関するテーマには答えられない。
哲学はこのような科学が処理できない特殊な領域について、考え続けてきた歴史がある。さらに哲学の世界を深く探究したいなら、今回参考にした「哲学の教科書」はそのきっかけになり得るだろう。
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