形而上学とは何か? 簡単に意味を解説

哲学

形而上学 (けいじじょうがく) は学問の世界でよく聞かれる言葉である。ただ、日常的にこの言葉を使うことは少なく、意味が分からない人もいるのではないだろうか。

今回の記事では、形而上学の意味を専門用語を使わないで理解しやすく解説する。また、関連性の深い形而下学 (けいじかがく) についても同様に説明していこう。

形而上学とは

ここでは、形而上学 (けいじじょうがく) の意味について、「辞書での定義」「分かりやすく解説」の2項目を使って、誰でも理解できるように説明する。

辞書での定義

形而上学の辞書での定義は次のようになっている。

①存在者を存在者たらしめている超越的な原理、さらには神・世界・霊魂などを研究対象とする学問。第一哲学。

②客観的実在やその認識の可能を端的に認める哲学的立場。不可知論や実証主義の立場から独断論や実在論を称した語。

③事実を離れて抽象的なものにだけとどまる議論を揶揄(やゆ)していう語。

Weblio辞書 形而上学より

辞書での定義を見ると、「哲学」と関係性が深い言葉だと分かる。ただ、これだけだと意味は理解しづらいので、次項で更に噛み砕いていこう。

分かりやすく解説

形而上学とは、「非物質的な世界を追究する学問」のこと。ここでいう非物質的とは、何かを手に取ったり、触れたりできないという意味。つまり、「目に見えない」ものだ。

上記を踏まえると、私たちが普段住んでいる世界を超えた、抽象的世界を対象にするのが形而上学といってもよいかもしれない。

これは、物事の本質 (根源) を求める哲学的なものの見方だ。物凄く単純化すれば、「形而上学≒非物質 (目で見ることができない) 世界の学問≒哲学」と考えることもできるだろう。

さらに言葉の意味を細分化すると、下記の通りとなる。

形而上

目で見ることも触ることもできない、抽象的にしか捉えられない事柄のこと。

形而上学

「形而上」(抽象的な事柄) を学問として追究すること。(≒哲学)

形而上学的

「形而上」(抽象的な事柄) を体系的にまとめたり、論理的な言葉で説明したりすること。(≒哲学的な考え方や態度)

形而下学とは

形而下学 (けいじかがく) は、形而上学 (けいじじょうがく) とセットで使われることが多く、関連性の深い言葉である。

ここでは、「辞書での定義」「分かりやすく解説」の2項目を使って、形而下学の意味について説明していこう。

辞書での定義

形而下学の辞書での定義は以下のようになっている。

形而下学は、実体のない原理を研究の対象とする形而上学の反対であって、実体のあるものを対象とする応用科学の学問。

Weblio辞書 形而下学より

辞書での定義から分かるのは、形而下学は形而上学の対義語 (正反対の意味を持つ言葉) ということである。

また、応用科学の学問とする文言もある。これについては、次項でさらに分かりやすく説明していく。

分かりやすく解説

形而下学とは、簡単にいえば「物質的な世界を追究する学問」のことである。このような学問の具体例としては、科学 (物理学) が挙げられる。

物質的な世界とは、私たちが実際に何かを手に取ったり、触れたりできることを指す。つまり、私達の目に見えている、具体的に認識できる世界を対象にする学問が形而下学と考えてもよいだろう。

物凄く単純化すれば、「形而下学≒物質 (目で見ることができる) 世界の学問≒科学」である。さらに言葉の意味を細分化すれば、下記の通りとなる。

形而下

何かを見たり、触れたりできる物質世界のこと。今私たちの目の前にある、具体的に捉えることができる世界。

形而下学

「形而下」(具体的な物質世界) を学問として追究すること。(≒科学)

形而下学的

「形而下」 (具体的な物質世界) を対象にして、知識を体系化したり、論理的な言葉で説明したりすること。(≒科学的な考え方や態度)

意味自体は難しいものではない

形而上学は言葉の響きから難しく感じられるが、(日常生活の文脈で使う程度なら) 意味自体は複雑なものではない。

対義語である形而下学も同様である。最後にこれまでの情報をまとめて終わりとしよう。

「形而上」は抽象的にしか捉えられない事柄。それを学問として追究するのが「形而上学」、主に哲学のこと。

「形而下」は具体的に捉えらる事柄。それを学問として追究するのが「形而下学」、主に科学のこと。

〈補足〉 形而上学をより詳しく学ぶ

ここからは、形而上学をより詳しく知りたいあなたのために深掘り情報を紹介する。

あくまでも、本文を補足 (深掘り) する内容なので、もっと形而上学について知りたいという、興味意欲のある人だけ読んで欲しい。

形而上学の具体例

形而上学の単純化した定義は、本文で解説した通りである。繰り返すと、「形而上学≒非物質 (目で見ることができない) 世界の学問≒哲学」となる。

この定義は、誰でも分かりやすいだろう。ただ、これを具体的にイメージするのは難しいかもしれない。そこで、ここでは具体例を二つ紹介する。

具体例 ①

具体例の一つ目は、多くの人にとって馴染みやすいはずだ。たとえば、下記のようなものがある。

【具体例 ①】

・神

・死後の世界

・霊

具体例①をざっくりとしたイメージでいえば、今私たちがいる世界を超えた、まさしく「別世界」と表現できるだろう。

実際、伝統的な西洋哲学の主題の一つは「神」である。

具体例 ②

具体例の二つ目は、一つ目に比べると馴染みにくいかもしれない。たとえば、下記のようなものがある。

【具体例 ②】

・可能性とは何か?

・時間とは何か?

・因果関係とは何か?

具体例②をイメージしやすく説明すると、具体例①のような「全く別の世界」ではなく、「今私たちが生きている世界 (の謎) 」について、さまざまな側面から問いかけている。

これは科学でも主要なテーマであるが、科学よりも抽象的で、科学とは別のアプローチでその謎を解き明かそうとするのが「形而上学」である。

その方法が形而上学 (哲学) 固有の独特のものなので、多くの人は「つかみどころがない」と感じるのだろう。

形而上学の本

形而上学に限ったことではないが、何かの表面だけではなく、本質まで理解しようと思えば、自ら調べたり、学んだりする姿勢が必要になる。

ここでは、そんな知識欲旺盛なあなたのために、形而上学に関する本を二つ紹介しよう。

形而上学 (アリストテレス)

アリストテレスとは、古代ギリシアの哲学者だ。その著書の原文を翻訳した一冊が 形而上学(アリストテレス) 上 である。上下の二巻あり、続編は 形而上学(アリストテレス) 下 となっている。

日本では1959年から発売されており、多くの人に読まれている名著だが、内容は決して簡単ではない。本の長さも(上)が420ページ、(下)が458ページとボリューム満点だ。

もし、あなたが初心者なら、次に紹介する「哲学がわかる 形而上学」などの本をいくつか読んで、基本を理解してから挑戦するのがおすすめである。

哲学がわかる 形而上学

こちらは本文最後でも紹介した一冊である。「哲学がわかる 形而上学」は先ほども述べた通り、形而上学 (哲学) に興味ある初心者向きの内容だ。

少し長くなるが、この本の具体的な魅力と特徴は下記のようなものである。写真 (画像) は実際に私が所有しているものを撮影した。

デザイン
形而上学の本の画像01 (オリジナル)
形而上学の本の画像02 (オリジナル)

形而上学 (哲学) の本を紹介するといいつつ、そのデザインから言及するのは若干邪道かもしれない。しかし、本のデザインが悪いものより、良いもののほうが多くの人は望ましいと思うだろう。

なぜなら、本のデザインが良ければ、より愛着が湧くし、所有欲を満たしてくれるからである。「哲学がわかる 形而上学」もそのような観点から見て、個人的な満足度は高い。

もちろん、感じ方は人それぞれだろうが、たとえば、本棚に飾っておいても違和感がない、むしろオシャレにすら思えるデザインである。

それでいて、軽い感じはなく、哲学のイメージとぴったりの「ほどよい重さ」や「落ち着き」がデザインから感じられるのがお気に入りのポイントだ。

わかりやすく質が高い
形而上学の本の画像04 (オリジナル)
形而上学の本の画像03 (オリジナル)

「哲学がわかる 形而上学」は専門用語がほとんど使われていないので、初心者でもわかりやすい。また、わかりやすいだけではなく、形而上学の世界に誘ってくれる「質」の高い内容も魅力だ。

つまり、初心者向きでありながら、表面をなぞったような薄いものではなく、本質に迫る濃い中身になっている。

これは逆にいえば、形而上学 (哲学) に全く興味がない人には、読み進めるのが難しい一冊かもしれない。

形而上学の本の画像05 (オリジナル)

本の具体的な内容としては、序盤~終盤までは「形而上学の問い」がいくつも紹介され、著者と一緒にその問いについて考えていく。

そして、それらを考えた後に、多くの読者が知りたいであろう「形而上学とは何か?」という疑問に答える形になっている。

本書には、このような特徴があり、全体を通して読めば、無理なく形而上学について理解を深められるよう工夫されている。一冊読み終わる頃には、あなたの知的好奇心も満たされているだろう。

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