「二元論」という言葉の意味は何となくわかるけど、具体的に説明するのは難しいという人もいるのではないだろうか?
今回はそのようなあなたのために、二元論の基本から深掘り情報まで、コンパクトに網羅する記事を書いたので、ぜひ読んでみてほしい。
この記事に書かれていること
この記事に書かれていることを短くまとめると、下記のようになる。
それぞれの詳細については、必要に応じて記事本文を読めばわかるだろう。
・二元論の基礎知識→二元論とは、物事を対立する二つに分けて考えること。「光⇔闇」はわかりやすい例。
・二元論とデカルト→デカルトはフランスの哲学者。彼がつくった哲学体系は、二元論の側面から見ても重要とされる。
・深掘り情報→プラトンの哲学も二元論である。「理気二元論」は中国で提唱された。二元論の対義語は「一元論」となる。
二元論の基礎知識
ここでは、二元論の基礎について、いくつかの項目に分けて解説する。
二元論とは?
二元論とは、主に哲学・宗教・思想などの分野で使われる概念である。
具体的には、世界のあらゆるものを異なった (対立する) 二つに分け、それぞれの立場から物事を説明しようとする考え方である。
たとえば、「善⇔悪」や「光⇔闇」は分かりやすい二元論の代表例だろう。
二元論的思考
二元論的思考とは、物事を何でもかんでも「二元論」で考えることである。
たとえば、自分の周りの人々を「善と悪」の二つだけに分けるような思考方法といえる (実際の人間関係はもっと複雑であるはずなのに、グレーゾーンを認めない) 。
現代においては、融通が利かない極端な思考方法として、ネガティブな意味合いで使われることが多い。
二元論の具体例
理解しやすい二元論の具体例としては、下記のようなものがある。
- 善⇔悪
- 光⇔闇
- 白⇔黒
- 男⇔女
- 天⇔地
二元論とデカルト
デカルトは二元論と関係が深い人物である。ここでは、それがどのようなものなのか見てみよう。
デカルトとは?
ルネ・デカルト (1596~1650年没) は、「我思う、ゆえに我あり」の命題で有名なフランスの哲学者である。
デカルトがつくりあげた哲学体系をC.ウォルフが「二元論」と呼び、これが哲学における (最も影響力のある) 二元論的思考の始まりとされる。
デカルトの心身二元論
デカルトの心身二元論とは、人間を「心」 と「身体」に分けて、それぞれを別のものとして扱う考え方である。
心と身体はそれぞれ、心⇔身体という正反対の立場になるので、心身二元論と呼ばれている。欧州は伝統的に、心身二元論の考え方をする人が多い。
デカルトの物心二元論
デカルトの物心二元論とは、世界を「心」と「物質」に分けて、それぞれを別のものとして扱う考え方である。
質量を持たない心、質量を持つ物質はそれぞれ、心⇔物質という正反対の立場になり、物心二元論と呼ばれている。
デカルトの二元論まとめ
デカルトの二元論を簡単にまとめると、下記の通りとなる。
「人間」を認識するための二元論→心身二元論 (心⇔身体)
「世界」を認識するための二元論→物心二元論 (心⇔物質)
深掘り情報
二元論をより深く理解したい人のために、関連情報をいくつか深掘りして紹介する。
二元論とプラトン
古代ギリシャの哲学者プラトンも二元論者である。プラトンの二元論とは、世の中を「感覚の世界」と「イデアの世界」の二つに分けた考え方だ。
「感覚の世界」は私たちが五感で認識する世界 (≒現実) 、「イデアの世界」は私たちが五感で認識できない世界 (≒概念) となる。
イデアをもっとやさしく表現するなら、「頭の中にだけある世界」ともいえる。これが現実よりも上位の存在で、永遠にある真の姿と定義したのがプラトンなのだ。
理気二元論
中国における儒学の中で提唱されたのが「理気二元論」である。これは、世の中を「理」と「気」の二つに分ける考え方だ。
「理」は根本的な原理であり、「気」は物質的な原理である。
宇宙を含めたこの世のあらゆるものは、「理 (根本原理)」と「気 (物質原理)」という性質の異なる二つが関係を持つことで、つくられるとされている。
二元論の対義語
これまでいろいろな二元論に触れてきたが、これの対義語となるのが「一元論」である。一元論とは、物事を一つの原理で説明しようとする考え方だ。
一例を挙げると、日本を含めたアジア圏で多い「身体と心は一つ」という考え方は「一元論」である。これに対して、欧州で多い「身体と心はそれぞれ別物」という考え方は「二元論」といえる。
個人的雑感
ここでは、二元論についての個人的雑感を書いていく。おまけのような項目なので、興味のない人は読み飛ばしてほしい。
二元論的思考はネガティブな意味で語られることが多い。二元論で何でもかんでも考えてしまうと、グレーゾーンを認められず、極端な方向に行きがちだからである。ただ、理屈としてはそうだが、必ずしも理屈通り動かないのが人間や社会である。
たとえば、戦中の原爆投下の是非に関して、ほとんどの日本人はこれは「悪」であり、あり得ないと考えるだろう。投下にも意味があった、二元論で考えるのはやめようといえば、同じくほとんどの日本人は怒り狂うはずである。これは特に欧州で悪以外の扱いはタブーとされている「ナチス」についても、同様のことがいえる。
上記は極端な例であるが、「個人の感情」や「社会の倫理道徳」を保つために、二元論で考えざるを得ない物事はあるだろう。身近な人間関係でいっても、グレーゾーンがあるのは認めつつも、実際は「好き」か「嫌い」の二元論中心に考える人は多いはずである。
何でもかんでも二元論的な思考をするのはよくない、二元論で考える人や社会は短絡的だというのは正論として説得力があるように見えるが、それはある意味で実社会に即していない、「生の人間性や社会」を無視した机上の空論 (理想論) にも感じられる。
二元論全体のまとめ
この記事全体の要点をまとめると、次のようになる。
・「二元論」は物事を対立する二つに分ける考え方。何でもかんでも二元論に当てはめて考えることを「二元論的思考」と呼ぶ。これはつまり「グレーゾーン」を認めない思考法。
・フランスの哲学者デカルトが提唱した「心身二元論 (心⇔身体)」、及び「物心二元論 (心⇔物質)」は、哲学における二元論の始まりとされている。
・二元論の対義語は「一元論」である。一元論とは、物事を一つの原理で説明しようとすること。
なお、デカルトのいう二元論については、彼の著書の一つである「情念論」で詳しく解説されている。岩波文庫の日本語訳は、 (表紙は地味だが) 文体自体にクセがないので、読みやすいだろう。
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