あなたは「哲学」と「思想」がどのように違うのか、知りたいと思っているのだろう。
哲学と思想はその違いが分かりづらく、最も境界が曖昧なものである。
そこでこの記事では、哲学と思想ついて、どこが具体的に違うのか、誰にでも分かりやすくまとめた。
今回の記事を読めば、哲学 (哲学者) と、思想 (思想家) の違いが理解できるはずである。
この記事に書かれていること
この記事に書かれていることを簡単にまとめると、下記のようになります。
もし、結論だけすぐに知りたいときは、本文「それぞれの違い」項目をお読みください。
なお、文中に出てくる人物名は、全体をコンパクトに記述するため「敬称略」で書かせてもらっています。
哲学とは→身近な物事を含め、徹底的に疑い、自分の実感を伴いながら考え抜くこと。それを言語化すること。
思想とは→政治や社会などに関して、文化・環境・時代的背景と結び付けて、考え (意見) をまとめること。
哲学と思想の違い→哲学はあらゆる物事を疑い、実感を伴いながら考える行為。思想はそこまで一般的物事は疑わず、常識的範囲できれいに考えを処理しようとする。
参考資料と記事作成方法
「哲学」と「思想」それぞれの定義は辞書で調べれば分かる。また、それぞれの違いについても、探してみるとよくまとめられた資料がいくつか見つかる。
それらを参考にして記事を作成してもよいのだが、それだけでは同じような内容でつまらないだろう。
そこで今回は、哲学者・中島義道の著書「哲学の教科書」を下敷きとしてそれぞれの定義、違いについて、私個人の意見も入れながら記事作成した。
全体としては、哲学側から見た思想との違いを明かすという構成である。マニアックな部分もあるが、なるべく誰でも分かるように配慮している。
哲学とは?
ここでは、哲学がどのようなものか、最初に一般的な定義を紹介。
その後、より深掘りした情報を紹介する。
辞書の定義
1 世界・人生などの根本原理を追求する学問。古代ギリシャでは学問一般として自然を含む多くの対象を包括していたが、のち諸学が分化・独立。その対象領域が限定されていった。論理学・倫理学・美学などの領域を含む。
引用元:https://00m.in/ZjhQN
2 各人の経験に基づく人生観や世界観。また、物事を統一的に把握する理念。「仕事に対しての哲学をもつ」「人生哲学」。
辞書による「哲学」の定義は、上記の通りである。
1.については、学問的な定義と解釈して良いだろう。根本原理を追求するのが哲学であり、それは古代ギリシャからあった。また、そのときの哲学は対象が広かった。
そこから、さまざまな領域に分かれ、一部は違う学問として独立。現代では、根本原理追及のほか、倫理や論理学、美学などが哲学の領域とされている。
2.については、日常生活において、使われることが多いだろう。たとえば、個人のこだわりや独自の価値観を「あの人は哲学がある」のように表現するのではないだろうか。
深掘り
辞書の定義は、一般的によくいわれていることである。
ここから、さらにその定義について深掘りしていく。今回下敷きとする哲学者の中島義道によれば、哲学は「深い」ものではなく、「浅い」ものだといっている。
この時点ですでに「?」と思う人もいるだろう。要するに世間一般のイメージする「人生とは?」みたいなことを考えるのではなく、もっと身近な物事を考えるのが (厳密な意味の) 哲学だというのだ。
それはたとえば、「数える」とか日常生活に転がっていることである。このような物事を真剣に考え抜けば、誰でも同じ疑問に行き着くというのが中島義道のいう哲学である。
これをもう少しかみ砕くと、「普通の人が見過ごしてしまうような些細なことでさえ、『自分事』として徹底的に考える」のが哲学だと解釈できるだろう。
思想とは?
ここでは、思想がどのようなものか、最初に一般的な定義を紹介。
その後、より深掘りした情報を紹介する。
辞書の定義
1 心に思い浮かべること。考えること。考え。「新しい思想が浮かぶ」。
引用元:https://00m.in/HM4C1
2 人生や社会についての一つのまとまった考え・意見。特に、政治的、社会的な見解をいうことが多い。「反体制思想を弾圧する」。
3 哲学で、考えることによって得られた、体系的にまとまっている意識の内容をいう。
辞書による思想の定義は、上記の通りである。
哲学に比べるとシンプルで分かりやすいのではないだろうか。特に1、2は説明するまでもなく理解できるだろう。
3については、「哲学を思想の文脈で読む」というものがあるが、そのことをいっているのだろう。
深掘り
思想は哲学ほど、その定義が分かりづらいものではない。したがって、辞書の定義を理解できれば問題はないだろう。
深掘りなのでもう少し踏み込むと、たとえば、ニーチェという有名な哲学者がいる。思想としてニーチェを理解しようとする人は、それを「客観的な知識」として吸収する。
そして、ニーチェの考えに違和感や衝撃がなく、冷静に語れるような人間が思想家といえる。
それぞれの違い
ここでは、哲学と思想の定義を改めてまとめ、それぞれを比較しながら、その違いについても解説する。
哲学と思想の違い
改めて、哲学と思想の定義をまとめると、下記のようになる。
・哲学とは、普通の人が見逃すような身近で些細なことを含め、「自分事」として徹底的に考えることである。そこには、「主観的な実感」が伴っている。
・思想とは、抽象的なことを思い浮かべたり、政治・社会・哲学などについて見解を述べたりすること。そのときは、「冷静で客観的」なことが多い。
哲学と思想の違いは下記のようになる。
「哲学」はあらゆるものを疑い、主観的な実感を伴って考え抜くことである。あらゆるものを疑っているので、他の学問で当然とされている前提条件 (たとえば、哲学は過去の存在すら疑っている) から、すでに足元が揺らいでいる。
それに対して、「思想」は哲学ほど身近なことを疑わない。上記でいえば、過去は当然存在するものとして話が進む。また、必ずしも主観的な実感を伴うとも限らない。前項で出てきたニーチェの例でいえば、文化や環境、時代背景と結び付けて違和感なく処理するのが思想である。
哲学者と思想家の違い
「哲学者」は自分の実感を伴って考え抜いている人である。たとえば、時間 (過去) というテーマが気になるなら、時間について頭がおかしくなるほど考え抜いている人である。
哲学的なテーマは子供が疑問に思うような身近なこと、また、他の学問が扱わないような永遠に答えの出ないことなので、堂々巡りになることも多い。
自分の内からにじみ出る疑問、違和感、引っかかりなどについて狂気になるほど取りつかれた人が「哲学者」である。
一方、「思想家」は時間 (過去) など、今の社会で当たり前とされている物事は疑わない。また、哲学的なテーマにも悩まないし、引っかからない。
そのため、ニーチェなどの哲学書を読んでもきれいに処理して、体系化することができる。違和感なく客観的な立場で語ることができる。
哲学者に比べれば、はるかに健康、且つ常識的な立場で政治・社会・哲学などの領域を理解、処理していくのが「思想家」といえるだろう。
哲学は独特のセンスが要求される学問
思想は感覚的に理解できる人が多い反面、哲学を理解するには独特のセンスが必要である。それはたとえば、数学や音楽的センスなどと同じなのではないだろうか。
哲学を思想という文脈で理解するのも面白いが、もし、哲学の本質に触れたいなら、今回下敷きにした中島義道の著書「哲学の教科書」が最適だろう。
「哲学と思想の違い」以外にも、「哲学と人生論の違い」など、一見すると似ていると思われる領域の差異について、詳細に解説されている。
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