あなたは哲学と芸術の違いについて知りたいと思っているのだろう。
哲学と芸術は共に複雑な概念なので、何となく違うと思っていても、それを言語化して理解するのは大変である。
そこでこの記事では、要点だけに的を絞って誰にでもわかりやすく内容をまとめた。全体の文章量も長くはないので、ぜひ気楽に読んでほしい。
この記事に書かれていること
この記事に書かれていることを短くまとめると下記のようになります。
詳細については、記事本文それぞれの項目をご覧ください。
なお、文中の人物名に関しては、全体をコンパクトにするため「敬称略」で書かせてもらっています。
・哲学と芸術の違い→哲学者は現実世界を徹底的に疑い言語化する。芸術家は自分の思い描くもう一つの世界を作品に残そうとする。
・哲学と芸術の共通点→イメージだけでいえば、共に「俗世間から隔離された分野」という共通点がある。
・哲学と芸術の関係性→コンセプト重視の「現代アート」に限れば、両方の間に緩い関係性はある。
参考資料と記事作成方法
哲学と芸術は共に歴史が長く、さまざまな論点から見ていくと収拾がつかなくなってしまう。
そこで今回は、哲学者・中島義道の著書「哲学の教科書」で語られている「哲学は芸術ではない」を下敷きとして、自分なりの意見を入れながら本文を構成した。
哲学と芸術の違い以外に、共通点や関係性についても私なりに考察しているので、一緒に見てもらえるとより多面的に理解できるだろう。
哲学と芸術の違い
哲学者は「われわれが持っている宇宙」の謎にひっかかっており、それが不思議で不思議で仕方のない人種ですが、芸術家は「もう一つの宇宙」に望みをたくしている分だけ、眼の前の世界に対する真剣な問いかけをしません。
引用元:哲学の教科書 P91 「哲学は芸術ではない」より
上記は中島義道の著書「哲学の教科書」に書かれている、哲学と芸術の違いである。短いが、哲学と芸術の違いをシンプルに表現している一文ではないだろうか。
これについて、私なりの解釈をするなら、哲学者は今生きている「現実世界の謎」を解き明かし言語化することに夢中になっている。
それはたとえば、自我や時間、死などの永遠に答えが出ないようなテーマだろう。一方、芸術家は、絵画や彫刻などの表現手段で「もう一つの世界を創造する」ことに夢中になっているのである。
中島義道の著書の中では、シュールレアリスムのダリが実例として挙げられていたが、中島はダリがつくるグロテスクな世界が好きではないそうだ。
なぜなら、彼の価値観では、「現実の世界」がすでに十分にグロテスクであり、わざわざ「創造の世界」でグロテスクな世界をつくらなくてもよいと思っているからである。
芸術家は日常世界の堅牢さに疑問を持たないという趣旨の一文もあったが、確かに、芸術家で日常世界が堅牢ではないと常日頃から疑っている人 (たとえば、時間が逆流するのではないかと思っている) は極めてまれだろう。
哲学と芸術の共通点はないのか?
哲学と芸術、俯瞰して広く見れば共通点も見つかる。ただ、それは厳密な意味ではなく、あくまでも抽象的でフワフワした共通点である。
具体的には、哲学と芸術は「俗世間から隔離された特殊な分野」というイメージの共通点がある。
古典的なステレオタイプの見方では、哲学者や芸術家は「変わった人」、あるいは「達観した人格者」のように扱われることもあるはずだ。
共に俗的な世間とは切り離されており、だからこそ、人生に絶望した者が最後に行き着く場所、のような枯れたイメージも特に日本では根強く残っているのではないだろうか。
芸術と哲学の関係性について
哲学と芸術の関係性はないのだろうか?哲学と芸術は別物であるが、的を絞って見れば無関係ではない。
たとえば、「現代アート」はコンセプトが重要であり、作品を説明するために複雑な「言語化」をする。
そして、テーマそのものも哲学と近いと感じらるものもある。この辺は、同じとはいわないまでも、緩い関係性はあるといってよいだろう。
哲学と芸術は違うが、接点もある
哲学者は現実の世界を徹底的に疑って言語化しようとする。芸術家は自分が思い描く、もう一つの世界を作品という形で残そうとする。このように、哲学と芸術は違うものである。
ただ、コンセプトを重視する現代アートなど、条件を限定すれば両方の接点が見えてくることもある。
芸術以上に難解と敬遠されることが多い、哲学について理解を深めたいなら、今回記事の下敷きにした「哲学の教科書」が役に立つだろう。
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