孤独論 (都会と田舎)

哲学

誰でも孤独を感じることはあるだろう。世間一般では、孤独はネガティブな文脈で語られがちだが、それは自由とも結びついている。したがって、真に自由になろうとすれば、孤独は避けられないものである。

孤独は嫌だけど自由になりたい、というのはワガママであり、双方が密接に結びついている以上、自由を求めれば求めるほど、孤独感は深くなる。

それは仕方のないことであり、それでも自由を愛しているから私は基本的に孤独なのだが、孤独の感じ方も「都会と田舎では違う」ということに最近気が付いた。

都会の孤独

都会と田舎 (環境条件) によって、孤独の感じ方が違う理由を考えてみる。その要因としては、①人々の違い、②場所そのものが持っている空気感の違い、という二つになるだろう。たとえば、都会では着飾った若年層の友達同士やカップルが多く、一人 (独り) でいると嫌でも孤独を感じるのである。

極端にいえば何かその場で浮いた存在になっているような、私以外の全ての人々は上手く周りに溶け込んでいるのに、自分だけ場違いなところにいるような感覚だ。

実際、冷静に周囲を見渡せば、私と同じように単独で活動している人間がおり、前述した今時の若者とはいえないような人々も一定数いる。しかし、ある意味画一的な都会の群衆全体が放つ「洗練された雰囲気」はこのような現実を覆い隠してしまう。

別の言葉でいえば、東京などの大都市は綺麗すぎるのである。洗練された町並みと人々が大多数を占めているがゆえ、少しでも自身が異分子と感じると、自虐的になってしまうのかもしれない。

田舎の孤独

丹沢山中

一方、田舎はどうだろうか。田舎といってもさまざまな程度があるが、私がそれを聞いてよくイメージするのは丹沢山地の山々だ。私は学生時代のある時期までは神奈川県に住んでいたので、その風景が脳裏に刻まれているのである。

そして、大人になってからも丹沢方面には度々行っている。単純に懐かしいという理由の他、自然の多い環境はよい気分転換にもなるからだ。

今年 (2022年) の初春にも丹沢方面へ出向いた。丹沢と一言でいってもその範囲は広いが、私が行ったのは大倉尾根 (中部) から西丹沢 (西部) にかけての辺りである。

特に西丹沢と呼ばれる地域は山深いので、直接山を登ることなく、その周辺にいるだけでも存分に「田舎」の雰囲気を味わえる。

このような環境では、一人でいることはあまり気にならない。なぜ、気にならないのかといえば、都会に比べて「人」が少ないからだろう。一人が当たり前であり、孤独が当たり前であるから、それに慣れてしまうだ。

つまり、周りの人々と自分を比べ、そこから孤独を感じるという意味において、都会よりは楽なのである。ただ、その分、「場」そのものから感じる孤独感は強烈なものがある。

特に丹沢の中でも観光地化されていない、人気の無い場所は自然が産出する「生 (なま)」の刺激を直接感じられる。これを誇張して分かりやすくいえば、広い山中にたった一人でいるような感覚である。この感覚を都会で感じることは、ほとんど無いだろう。

それぞれの違い

都会で感じる孤独とは、主に人間の群れである「群衆」から感じるものだ。都市の人工的で綺麗すぎる景観もそれに拍車をかけている。

反対に田舎で感じる孤独とは、前述した群衆はあまり関係がなく、場所 (自然) そのもの」から感じることが多い。また、都市が人工的で綺麗な景観なら、田舎は手つかずのものも多く、オブラートに包まない「粗野」な景観といえるだろう。

普段は都市部に住んでいる自分にとって、田舎で感じる孤独とは、ある意味特別なものなのだ。

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