先日、「僕はなぜ小屋で暮らすようになったか」というタイトルの一冊の本を読み終えた。今回はこの本の個人的感想とレビューを書いていきたい。
先に結論からいうと、私には味わい深い一冊に感じられた。 具体的な本の内容や著者、どのような人におすすめなのかについては、本文中で詳しく解説するので期待してほしい。
著者と本の概要
この本の著者は高村友也という人だ。高村氏は東京大学哲学科卒業後、慶應義塾大学大学院の哲学学科で博士号を取得している。このような経歴から、世間一般の価値観でいえば超高学歴のエリートとなるだろう。
ただ、高村氏は高学歴でありながら卒業後は就職をせず、雑木林に自分で小屋を建てて生活している。そのような著者の幼少期から今までの半生を振り返るのが本書である。
大まかな構成としては、少年時代・高校時代・大学時代・大学院時代・路上生活と小屋暮らしという流れで各章が作られている。また、著者の生まれ年を見れば分かる通り、本が発行された時点では、30代前半と比較的年齢も若い。 (2015年12月に初版発行)
本を読んだきっかけ
私が今回の本を読もうと思ったのは、著者である高村氏に興味をもったからである。具体的には、高村氏が運営している「寝太郎ブログ」という媒体で初めてその存在を知り、そこに書かれていた記事内容から著者本人に興味をもつようになったのだ。
実際に見た氏のブログには生々しい生活感や思考、独自の価値観が詰まっていると思った。一言でいうと、中身が濃いと感じたのである。中身が濃くて、説得力があるからこそ、今の生き方や思考に至るまでの経緯が知りたくなったのかもしれない。
また、私もいわゆる「普通の生き方や価値観」は苦痛に感じるタイプだから、勝手な思い込みでシンパシーのようなものを感じたりもした。そのような高村氏個人を知れる著書として手に取ったのが「僕はなぜ小屋で暮らすようになったか」だったのである。
具体的な内容とレビュー
前項で説明した通り、この本は著者個人の自伝のようなものだ。温度の低い冷静な視線で淡々と文章は書かれており、難しい言葉も使われていないので読みやすい。
そして、冷静で読みやすい文章というと無個性なものを想像しがちだが、本書はそういう部分を感じさせない。なぜ、温度の低い冷めた文章で無個性と感じないのかというと、深い思考が伴っているからである。
淡々とした文章の中に、著者個人のとても深い思考を感じるのだ。そうして紡ぎだされた言葉の数々は、一見無個性に感じられがちな温度の低い言葉の数々に魂を宿し、大きな説得力がある。
このような深い思考を随所から感じられることは、本書の魅力の一つといえる。著者の深い思考を軸として、幼少期~現在までの出来事を振り返るのが主な内容だ。
その内容に派手さはないが、読書後は心に染みわたるような良質の味わいがある。また、表紙のデザインも素晴らしく、本書が持つ雰囲気を上手く視覚化しているのではないだろうか。
個人的解釈と本書がおすすめの人
ここからは完全に主観的解釈で個人的な感想を書いていく。高村氏の生き方は一見すると特異に見えるが、日本に住む現代人、特に若い世代には興味を惹かれたり、共感したりする部分もあるのではないかと思う。
もちろん、多くの人は高村氏のような生き方は出来ないし、完全に同じような思考や価値観を持っているわけではない。ただ、現実との折り合いを付けながら自分にフィットする生活を求める、世間一般には理解されにくい個人的な事情を抱えながら生きていく、という部分は現代人にも当てはまると感じるのだ。
私が上記のように感じるのは、自分にも少なからずそのような部分が存在するからである。したがって、同じような事情を抱えている、現代の主流の価値観に違和感を覚えているような人には本書を読んでもらいたい。
個人的な問題や生き方に解決策を示すような本ではないが、何かしらの新しい感覚は得られるのではないかと思う。高村氏の思考や試行錯誤の記録を通して、自分自身 ( ≒ 読者) の思考や価値観も新しい方向へ広がっていけばよいと感じた。
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