「自意識」と「自我」という二つの概念は何が違うのか?。今まで深く考えたことは無かった。しかし、似ているようで、二つの概念には違いがあるのではないかと最近は感じている。
そこで、此処では、自分なりに自意識と自我の違いについて調べ、分かったことをベースとして記事を書いていく。
すべてを厳密に理解しようと思えば難しいが、なるべく分かりやすく要点のみを解説するので、最後まで目を通してもらえると幸いである。
自我とは?
自我から解説したほうが理解しやすいので、具体的に「自我とは何か?」を述べていく。自我とは、学問によっても定義が異なる。ただ、一般的な文脈で使われる「自我」という言葉は、哲学的な意味合いが近いだろう。
哲学における自我の定義とは、「自己を対象とする認識作用」のことである。つまり、噛み砕いていえば、「(他者と区別した) 自分を認識すること」をいっているのだろう。そして、自我という概念で特筆すべきことは、他者に振り回されるものではない、という事実である。
たとえば、他者の目があろうとなかろうと、自我がしっかりと確立している人はやるべきことをやり、必要な行動をするのだ。このように、他者に依存せず、客観的に自己を見つめることで認識できるものが自我であると個人的には解釈した。
自意識とは?
自意識も自我と同じく、自分自身を意識する、認識する作用といえる。ただ、自我との大きな違いは、「他者 (他人) の存在が大きい」ということである。人によっては、大きいどころか、他者の存在が全てといっても良いかもしれない。
他者を意識するから、自意識が強くなる。他者がそばにいるから、自意識過剰になるのである。つまり、「自意識は常に他者とセットになっている」といえる。他者の存在がいつも必要とは限らない自我との一番の違いは、そこにある。
また、自我はブレない主体的なものであるが、自意識は他者の影響を受けやすく、受け身のもののようにも感じられる。さらに、自我が客観的で冷静な自己認識なら、自意識は主観的で思い込みがつくり出す認識ともいえるだろう。
全体のまとめと雑感
今回の記事は、いくつかの資料を参考にしながら、個人的な解釈や意見を付け加えて書いたものである。何回かその資料を読み直したとき、印象的だった記述がある。
それは、現代人は自意識ばかり強くなり自我が育っていないこと、自意識ばかりが強くなり常に主観的な世界にいるから幼児化しているという意見である。これについては、私も概ね納得するものがあった。
そして、いろいろ調べているうちに、「自我」や「自意識」だけではなく、「→アイデンティティ」という言葉の定義も気になってきた。アイデンティティも自我や自意識と似たようなニュアンスの言葉だからである。
この辺については、突き詰めて言葉の意味を考えていくとキリがないので今回は終わりとする。また、機会があれば、いろいろと整理しながら記事にしていきたい。最後に全体をまとめると下記のようになる。
・自我とは、「自己を対象とする認識作用」のこと。自我がしっかりしている人は、客観的に自己を認識する。そのため、他者の目に振り回されることなく、現実に即して物事を把握できる。
・自意識とは、「自分自身を意識」すること。自我との違いは、常に「他者」を意識しているところ。自意識が強い人は、主観的な自己認識をする。そのため、他者の目を気にして、自分の思い込みで物事を把握してしまう傾向がある。
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