2001年に全世界で公開された「 ファイナルファンタジー 」という映画はご存じだろうか?
映画は公開前、大きな期待を集めていた。しかし、実際に公開されてからは商業的失敗に加え、作品そのものの評価も芳しくなかった。
今回の記事では、当時を振り返りながら、改めてこの映画ついて考察する。
また、後半には映画をリアルタイムで見た私独自の意見 (レビュー) も掲載しているので、併せて読んで頂ければ幸いである。
今回の記事がおススメの読者
今回の記事は下記のような人々に特におすすめである。
・ファイナルファンタジー (FF) ファンで、2001年の映画にも興味がある人。
・映画をリアルタイムで知っていて、当時を振り返りたい人。
・映画をリアルタイムで知らないけど、どのような映画か知りたい人。
・映画の評価について、まとめられた情報が欲しい人。
ファイナルファンタジー (映画) の基本情報
「 ファイナルファンタジー The Spirits Within」は2001年に公開されたフルCGの映画である。
これまでもCGでつくられた映画はあったが、完全リアル志向のフルCG映画はファイナルファンタジーが初めてだった。
制作は当時のゲーム制作会社であったスクウェア (現在のスクウェア・エニックス) 。総製作費1億3700万ドルというスケールの大きさも公開前から話題となっていた。
監督はファイナルファンタジーシリーズの生みの親、坂口博信氏である。
あらすじ紹介
まだ映画を見ていなかったり、内容を忘れていたりする人もいるだろう。ここでは、基本的なあらすじを紹介する。
時は2065年の地球。“ファントム”と呼ばれる地球外生命体によって人類は絶滅の危機に瀕していた。科学者アキは人類を救う方法を日々思案していた。彼女はくり返し、“ファントム”以外の何かが地球に襲来する夢を見る。そのビジョンがいったい何を意味するものなのか理解できずにいた……。
引用元:https://www.cinematoday.jp/movie/T0000432
簡単に内容を述べれば上記の通りである。ファントムの襲来に対して、武力で解決を試みる地球軍 ( ハイン将軍) と、他の方法を試みるアキ&シドという対立軸がこの映画の基本となる。
評価紹介
ここでは、映画版のファイナルファンタジーに対する一般的な意見で良く見られるものを、私自身の言葉でかみ砕いて紹介しよう。具体的には、下記の通りである。
肯定来な意見としては、CGのクオリティが素晴らしいというのが多かった。CGのクオリティに関しては、ほとんどの人が称賛していた。
反対に否定的な意見としては、わざわざCGで表現する必要があったのか、CG故に感情移入できない、映画としては内容が薄いという意見もあった。
その他、マーケティングの失敗や物語が (最初に公開した) アメリカ向けではない、という意見も見られた。
商業的にも大コケして赤字発生
余談として、映画版のファイナルファンタジーは製作費総額1億3700万ドルに対して、約8500万ドルの興行収入しか得られなかった。
つまり、大幅な赤字であり、当時のスクウェアの経営にまで悪影響を与えた。これは、その後にエニックスと合併することになるほど、大きなダメージを与える出来事だった。
当時のスクウェアはゲームでヒット作を連発しており、同じようなノリと勢いで (ゲームと違って社内ノウハウの少ない) 大作映画をつくってしまったのが失敗の原因の一つだろう。
ファイナルファンタジー (映画) 詳細レビュー
私は映画版のファイナルファンタジーをリアルタイム (2001年公開当時) で鑑賞した人間である。そして、最近も映画を鑑賞する機会があった。
最近映画を見て感じたことは、当時とは感想が違うということだ。端的にいうと、初めて映画を見たときよりもポジティブな印象を受けた。
そこで、2001年に見たときと最近の印象を「 良い点&悪い点 」それぞれにまとめ、よりファイナルファンタジーという映画を深堀していきたい。
ファイナルファンタジーの良い点
個人的に感じた「良い点」は下記の通りである。
チャレンジ精神とスケールの大きさ
当時一つのゲーム会社に過ぎなかったスクウェアがハリウッドを含む優秀なスタッフを世界中から集め、ハワイに映画専門のスタジオを構えて制作を行った。
このスケールとチャレンジ精神の大きさは特筆すべきものであり、他の会社が容易に真似できるものではないだろう。100億円以上の製作費捻出も驚くべきことである。
商業的には失敗したが、当時の“熱”そのものはかなりのものがあった。また、日本ゲーム業界におけるCG技術向上、スクウェア社内のノウハウ蓄積にも貢献したはずである。
CG技術の凄さ
CG技術は当時の最高峰であり、場面によっては現在でも通用するクオリティだろう。これだけのレベルのものを、20年以上前につくったということが特筆に値する。
特に老科学者のシドとラストの自然背景の作り込みは必見である。その他、宇宙船などのメカ類の出来も悪くはない。
CG制作を職業としている人、又は純粋に技術的興味のある人は、今見ても得られるものがあるのではないだろうか。
最後に、“ キャラクターをリアルタイムで動かし続けた ”ということも強調しておきたい。つまり、良くある静止画の一枚絵でハイクオリティです、というCG作品とは別物ということだ。
いうまでもなく、静止画のCG作品よりも、常に人物を動かし続けて映画として成立させるほうが遥かに難しいはずである。
根底にはファイナルファンタジーらしさがある
投稿された一般評価を見ると、ファイナルファンタジーらしさが感じられない、という趣旨の書き込みが多数あった。しかし、それは表面的にしか映画を見ていないから感じられないのである。
確かに世界観はゲームとは全く違うが、FFが好きなら根底には同じものが流れていることに気付くはずだ。映画とゲームのFFに共通するもの、それは「命」をテーマに扱っていることである。
ファイナルファンタジーの生みの親とは、映画でも監督を務めた坂口博信氏であるが、坂口氏が制作に関わる作品は「命」が主要テーマになることが多い。したがって、ゲームと映画の両方に坂口博信氏 (FF) のエッセンスは入っているのだ。
この感覚は古くからのFFファンなら分かるのではないか。シリーズが進化するにつれて制作者も変わっていったFFであるが、本質的な部分は「 FF≒坂口博信≒命 」と考えて間違いない。
お約束の展開が意外と楽しい
映画やゲーム、音楽などのエンターテイメントにはいわゆる「お約束」の展開があるものだ。それはハリウッド映画 (FFにはハリウッドスタッフも多数参加) にもいくつか存在する。
そのようなお約束の展開やキャラクター間のやりとりを生身の人間ではなく、リアルに描かれたCGキャラで見るというある種の新鮮さと面白さ。
生身の人間でお約束の展開になると辟易するが、リアルなCGキャラだからこそ、そのようなベタな展開にも楽しみを見出すことができるのである。
ファイナルファンタジーの悪い点
個人的に感じた、「悪い点」は下記の通りである。
中途半端にリアルなキャラクター
CGは当時の最高峰でリアルだが、やはり生身の人間とは違う。そのため、今一つ登場人物に感情移入できないのである。リアリティを重視しすぎたせいで、性格や外見が地味なのもマイナス点だ。
CGならではの美男美女や個性的なキャラクターが描かれているわけではなく、かといって、生身の人間としても違和感のある魅力に乏しい登場人物。まさしく、どっちつかずな印象といえる。この特徴は主人公のアキを見ても良く分かるだろう。
アキは外見的に魅力がないのはもちろん、個性も弱いので感情移入しにくい。中途半端にリアリティを追求しすぎて失敗した、典型例のような人物だ。
明瞭なファイナルファンタジーらしさがない
良い点の記述と矛盾するようだが、“ 誰でも分かるようなファイナルファンタジーらしさ ”がないのは欠点である。
当たり前だが、鑑賞者全員がFFに関する豊富な事前知識を持っているわけではない。むしろ、ライトなファンくらいの層のほうが多いだろう。
そのような層に向けて、FFらしさを感じて貰える要素がないのは問題だということだ。
仮に商業性を無視した純粋な芸術作品なら今のままでも良いが、映画版のFFは商業的な成功も目指した娯楽作品のはずである。
世界観をゲームとは全く違うSFにしたことを含めて、この辺は制作者の独りよがりな部分があったのではないだろうか。
コンセプトと映画内容が噛み合っていない
ファイナルファンタジーの基本的なコンセプトは「リアル」だと思うが、このコンセプトと映画内容が噛み合っているとは言い難い。
具体的には、SF世界観でリアル志向のキャラクターなのに、生命体 (アイテム) を収集してファントムと戦うというある種のゲーム的な内容。
SF世界観とコンセプトから考えるなら、もっと徹底的にリアリティに拘っても良かったのではないか?
登場人物が生身の人間ほどはリアルになれなかったように、映画内容そのものも中途半端でチグハグなのが残念だ。
映画版のファイナルファンタジーは壮大な失敗作
映画版のファイナルファンタジーは、全く新しいことに挑戦した意欲的な作品である。新しい何かを創造することは、クリエイティブな作業で最も困難といえる。
なぜなら、手本となるものが少なく、自分たちで一から考えて構築していかなければならないからだ。もっと露骨にいえば、他から表現を盗んできて引用ありきでつくれない。
このような観点で考えると欠点が多いのは事実ではあるものの、評価するべき点も見えてくるのではないだろうか。
実際、2001年に初めて映画を見たときはつまらなくて失望したが、改めて見てみると意外と悪くないのではないかと感じた。
感じ方が変化したのは当時よりもクリエイティブ (創造的) 仕事の大変さが分かってきたこと、FFという固定観念をなくしてフラットに見れたことが大きいかもしれない。
商業的な不発はもちろん、一般的な評価も芳しくない映画版のファイナルファンタジーだが、実験的作品としての意味は十分にあった。
事実、この映画で色々なノウハウが蓄積が出来たからこそ、後年の「アドベントチルドレン」や 「 KINGSGLAIVE FINAL FANTASY XV 」などの映像作品も生まれたはずだからである。
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