デ・キリコは一度見たら忘れられないような、不思議な絵を描いた画家である。あなたは、この画家と作品のことが気になっているのだろう。
キリコは20世紀を代表する巨匠の一人だが、さまざまな事情により、美術史の中で位置づけが難しい存在とされている。つまり、一筋縄ではいかないのがキリコという人間なのだ。
今回の記事では、全体を大きく3つの項目に分け、キリコの人間性や作品について解説している。本文を読めば、誰でも俯瞰的にキリコについて理解できるはずだ。
本文で全体像が把握できれば、実際の作品鑑賞などの場面でも、よりそれを楽しむことができるだろう。
この記事に書かれていること
この記事に書かれていることを短くまとめると、下記のようになります。
簡単にいうと前半は基礎知識解説、中盤は作品解説、後半は作品の展示場所について解説という構成になっています。
それぞれの詳細が知りたい場合、あなたの興味に応じて記事本文の各項目をご覧ください。
・キリコとは→イタリアの画家。初期制作の作品が高い評価を受ける。ダリなどのシュルレアリストにも影響を与えた。
・キリコの代表作→「通りの神秘と憂愁」など、多くの人が何処かで一度は見たであろう有名作品が複数ある。
・キリコ作品の鑑賞方法→ポーラ美術館や大原美術館が作品を所蔵している。その他、画集も発売されている。2024年は東京と神戸で回顧展が開催。
ジョルジョ・デ・キリコとは?
デ・キリコとは、どのような人物だったのだろうか。
ここでは、キリコに関する基本情報から、その生涯、謎についてまで紹介する。
デ・キリコの基本情報
ジョルジョ・デ・キリコ (Giorgio de Chirico / 1888年~1978年 90歳没) とは、イタリア人の画家である。
「形而上絵画」と呼ばれる独自の作風で有名になり、それはシュルレアリスム (20世紀の大規模な芸術運動) にも影響を与えるほどだった。
その他の基本情報は、下記の通りである。
本名: Giorgio de Chirico
引用元:https://00m.in/HZNfl
誕生日: 1888年7月10日
出生地: ギリシャ
死没年: 1978年11月20日(90歳)
死没地: イタリア
国籍: イタリア
作風: 形而上絵画
影響:シュルレアリスム
芸術分野: 絵画、彫刻、素描、衣装
教育: ミュンヘン美術院
デ・キリコの人生と性格
デ・キリコは90歳と長生きだったが、最も高い評価を受けているのは、若いときに制作した「形而上絵画」のシリーズである。
キリコの作風は同時代の画家たちに大きな影響を与えた。一方、途中から古典に回帰したり、大量の複製作品をつくったりと、周りから非難を浴びるような行動もしていた。
性格については頑固で気難しい面を強調されることが多い。他の画家たちを評論するときも、歯に衣着せぬ発言が目立つ。なお、上掲の画像は、キリコが描いた自画像 (1922年頃) である。
人生
キリコの生涯のできごとをコンパクトにまとめると、下記のようになる。
【キリコの略歴】
・1888年→イタリア人両親のもとに生まれる。1905年に父親が死去、この頃から亡くなるまで、ヨーロッパ各地のいろいろな場所に移住するようになる。
・1910年→哲学者・ニーチェに影響を受け、最初の形而上絵画を制作する。
・1913年→サロン出品後、初めて絵が売れる。美術界の著名人からも注目される。
・1915年→第一次世界大戦が勃発。キリコもイタリア軍に召集され、入隊。この経験が作風に影響を与える。
・1919年→古典絵画の模写を開始、その後、1924年にクロルと結婚、1926年には、シュルレアリストたちと決別。1945年頃から自身絵画の複製を始める。
・1968年頃→過去作品を再解釈した「新形而上絵画」に取り組む。1978年、90歳で亡くなった。
性格
キリコの性格や印象的なエピソードをまとめると、下記のようになる。
【キリコの性格やエピソード】
・「セザンヌの風景画は稚拙」、「マティスの絵は形にもなっていない」、「ダリの色彩は不快で吐き気がする」など、著名な画家をこき下ろす発言をする。
・頑固で気難しく我が強いので、同時代の画家や画商、その他関係者とトラブルになることも多かった。いわゆる、トラブルメーカー。
・自身が過去に描いた真作 (本物) の作品を、贋作 (偽物) と主張。裁判沙汰になって公的に真作と認められたが、それでも自分の主張は曲げなかった。
デ・キリコの謎
デ・キリコについて調べていると「謎」という言葉がよく出てくる。「謎」はキリコを語るとき、一つの大きな切り口となる。
具体的に「キリコ」と「謎」の関係には、下記のようなものがある。
【キリコの謎】
・大枠では「シュルレアリスム」に属するといわれているが、最終的にグループメンバーとは仲が悪くなっている。また、途中から古典を手掛けるようにもなったため、「美術史として位置づけが難しい」画家である。
・20代の頃は当時の流行を無視して「形而上絵画」という個性的作品を生み出した。一方、最も評価された「形而上絵画」を捨てて古典へ回帰、さらに若いころの自身作品を自ら否定する発言など、周囲からは理解不能の行動。
・キリコは「謎以外の何を愛せようか」という言葉が好きだった。実際、作品名に「謎」という言葉が入っているものはいくつかある。この言葉の通り、キリコの思考や生き方そのものも「謎」が多い。
デ・キリコを読み解くキーワード
一般人には理解しがたい言動が多いキリコという画家は、どのように読み解けばよいのだろうか。
ここでは、キリコ本人や作品を読み解くうえでカギとなるキーワードを3つ紹介する。
形而上絵画
「形而上絵画」とは、キリコが20代のときに生み出だした全く新しい絵画表現である。その特徴は、見るものに不安や孤独、哀愁を感じさせる表現にある。
また、まるで「時が止まった」ように感じさせる作品が多いのも、形而上絵画の特徴だろう。キリコの青年期ならではの精神的不安定さ、哲学者・ニーチェへの傾倒がこのような表現を生み出したといわれている。
晩年は若いころに描いた作品をもとにして再構築する、「新形而上絵画」にも取り組んだ。なお、「形而上」は哲学と関係が深い言葉であるが、その哲学的な意味については、形而上学とは何か?という記事で詳しく解説している。
シュルレアリスムへの影響
上掲はダリの作品画像である。このような作品や表現を「シュルレアリスム」と呼ぶ。シュルレアリスムの本来的な意味は「理性の排除 (無意識の追求)」だが、日本では「奇妙で幻想的な表現」のような意味で使われることが多い。
もっとカジュアルにイメージしやすくいうなら「夢の中で見るような世界」といってもいいだろう。そして、ダリはシュルレアリスムの巨匠で世界的に有名な画家だ。
このダリを始めとしたシュルレアリストに大きな影響を与えたのも、キリコの形而上絵画時代の作品である。キリコ自身は途中でシュルレアリスムのメンバーから離れたが、その先見性は素晴らしいものがあったといってよいだろう。
古典回帰と自己模倣
キリコはキャリアの途中から、形而上絵画→古典 (伝統的) 表現と作風を変化させる。そして、なぜか、自己模倣作品 (自身が描いたオリジナルの複製) をつくり始める。画像はその一例である。
「古典回帰」した理由は、キリコがルーベンスなどの巨匠に影響を受けたためとされているが、このときの作品が (形而上絵画と比べて) 高く評価されることはなかった。
また、「自己模倣」を始めた理由は、過去に自身が制作した絵画を描きなおして、自分が納得できるよりよい作品にするため、とされている。ただ、周囲から見れば単なる複製品であり、この行為はキリコの評価を下げた。
デ・キリコの代表作
デ・キリコには代表作といえる有名な作品が複数ある。
ここでは、特に有名なものを厳選して3つ紹介する。また、その特徴も併せて解説していく。
通りの神秘と憂愁
「通りの神秘と憂愁 (1914年)」はアートに興味のない人でも、一度は見たことのある絵ではないだろうか。
作品名の読み方は「とおりのしんぴとゆうしゅう」である。憂愁 (ゆうしゅう) とは、悩み事があって悲しいような心理状態をいう。
なお、タイトルの「憂愁」の部分は「憂鬱 (ゆううつ / 気持ちがふさぐような状態)」と訳されることもあるが、意味としては似たようなものだ。
「通りの神秘と憂愁」の特徴解説
この作品にはいくつかの特徴があるが、一番印象的なのは「複数の消失点」を設定していることだろう。消失点とは、遠近法 (絵の中に奥行きがあるように見せる技術 <=リアル> ) に欠かせないものだ。
消失点は普通は一つであるが、この絵には複数あるので、何となく違和感を感じるようになっている。具体的には、左側と右側、それぞれの建物で別々の消失点が設定されている。
絵の内容としては、少女は輪を回しながら、右側の影だけ見える大きな像に向かって進んでいる。雰囲気からわかるように、影だけの像は「死」などのネガティブな出来事を暗喩しているといわれている。
不安を与えるミューズたち
「不安を与えるミューズたち (オリジナル:1916年頃 / 複製:1950年頃)」も多くの人が見たことのある作品だろう。オリジナルは1916年頃のものだが、後から同じタイトルでいくつも制作されている。
余談だが、この作品の個人的な思い出は、学生時代の美術の教科書に掲載されていた、ということである。昔の記憶なので曖昧な部分もあるが、キリコの作品だったのは間違いない。
何がいいたいのかというと、教科書に掲載されていたのを覚えているくらい、キリコの作品は印象的だということである。
また、最初に触れたように、キリコは同じ絵をいくつも制作したり (複製=自己模倣作品) 、制作年の記載を意図的に実際の年と変えたりしていた。この作品もその一つで、その数は少なくとも「18作品」といわれている。
「不安を与えるミューズたち」の特徴解説
この作品を見て一番インパクトのある部分は、二体の無機質な像だろう。これはマヌカン (マネキン) であり、「形而上絵画」時代の象徴ともいえる表現となっている。
二体のマヌカンはそれぞれ孤立しているような様子で、互いの接点を感じさせない。不穏な空気である。また、右奥の像はそれを遠目に見つめており、生の人間の象徴といわれている。
背景には城や工場のような建物が描かれているが、この街並みはイタリアのフェラーラという都市をモチーフにしている。フェラーラはキリコお気に入りの都市だった。
一般的には、戦争に対する不安を描いたものとされているが、そのような前提知識がなくても、文字通り鑑賞者自身も「不安」になるような作品である。デ・キリコ展 (2024年/東京) 展示作品。
神託の謎
「神託の謎 (1910年) 」は、キリコの青年期に描かれた初期作品のうちの一つだ。漢字の読み方は「しんたくのなぞ」と読む。
神託 (しんたく) とは、神のおつげのことである。この頃のキリコは精神的に不安定で、イタリアのサンタ・クローチェ広場で「いつもとは違う奇妙な印象」に襲われ、「最初の形而上絵画」シリーズの制作を始めた。
最初の形而上絵画シリーズはこの絵の他にも、「時間の謎」や「秋の午後の謎」といった作品がよく知られている。
「神託の謎」の特徴解説
神託の謎が初期の形而上絵画の一つなのは、前項で述べた通りである。この頃のキリコは哲学者ニーチェに傾倒しており、そこからインスピレーションを得たのも、このシリーズを描き始めたきっかけといわれている。
信託の謎の特徴は、ベックリンの影響が見られるということだ。ベックリンは19世紀スイスの画家であり、暗く神秘的な雰囲気の「死の島」がよく知られている (作品画像はリンク先参照) 。
左側の人物のポーズは、ベックリンの「死の島」でボートに乗っている白装束の人物と似ている。ベックリンとキリコ作品の人物を見比べれば、その影響がわかるだろう。
デ・キリコの作品特集
デ・キリコは代表作で紹介した絵画以外にも、魅力的な作品を多数制作している。
ここでは、その中からいくつかをまとめて紹介する。
なお、記事執筆時点で開催が決まっている「デ・キリコ展 (2024年/東京会場)」展示作品については、その旨も併せて記載しているので気になる人はチェックしてほしい。
赤い塔
「赤い塔 (1913年)」はサロン (展覧会) に作品を出品後、初めて売れた作品である。
また、ピカソなどの著名な画家がキリコに興味を持ったのもこの時期だ。キリコはこの他にも、「塔」を主題とした作品を複数制作している。
弟の肖像
「弟の肖像 (1910年)」はキリコのキャリア初期に描かれた、文字通り弟を描いた肖像画である。デ・キリコ展 (2024年/東京) 展示作品。
肖像画は弟以外に、母や父、自身をモデルとしたものも描いている。
特に自身をモデルにしたものはさまざまなパターンで描かれ、それは晩年まで続いた (実際の自画像は「デ・キリコの生涯と性格」見出し部分の画像を参照) 。
岩場の風景の中の静物
「岩場の風景の中の静物 (1942年)」は、キリコが古典絵画に傾倒していたときの作品である。
この頃のキリコは古典の巨匠作品から技術や表現を研究していたが、「形而上絵画」を期待する周囲からは、批判も多かった。デ・キリコ展 (2024年/東京) 展示作品。
オデュッセウスの帰還
オデュッセウスの帰還 (1968年) はキリコが晩年に取り組んだ、「新形而上絵画」と呼ばれる作品群に属し、デ・キリコ展 (2024年/東京) の展示作品でもある。
一般的に晩年の「新形而上絵画」の時代は、若年の「形而上絵画」時代ほどは評価されていない。ただ、この作品は感覚的に不思議な味わいがあって好きな人も多いのではないだろうか。
ヘクトールとアンドロマケの別れ
「ヘクトールとアンドロマケの別れ (1918年)」はキリコの形而上絵画時代における、傑作の一つだ。
タイトルの「ヘクトールとアンドロマケ」は人物名であり、左の男性がヘクトール、右の女性がアンドロマケである。
絵画は古代トロイア戦争を題材としており、これから戦いに行くために男女が別れを告げる場面を描いている。キリコの「戦争に対する不安」を表した作品とされている。
デ・キリコの作品はどこで見られる?
デ・キリコの作品は、どこに行けば鑑賞できるのだろうか?
ここでは、具体的にキリコの作品を見る方法をいくつか紹介する。
世界各地の美術館
世界各地の美術館は著名な芸術家の作品を購入して、常設展示しているところが多くある。デ・キリコの作品もこのような常設展示で鑑賞できる。
たとえば、国内ならポーラ美術館 (神奈川県足柄上郡箱根町) 、大原美術館 (岡山県倉敷市) がコレクションとして所蔵しているので、展示状況を確認してそこに行けば見ることができるだろう。
ただ、キリコの作品は世界各地に散らばってしまっているので、まとめて鑑賞できないのがこの方法の欠点である。
画集や解説本
前項で提案した美術館の常設展では、「まとめて作品を鑑賞できない」という欠点があった。この不満を簡単に解消するには、画集や解説本で作品を味わうのがよいだろう。
もちろん、画集などで味わう作品は、美術館で見る生の感動には敵わないかもしれない。しかし、「いつでも手軽にまとめて作品を味わえる」というのは大きなメリットである。
また、手元にオシャレな画集があれば、所有欲も満たしてくれるだろう。個人的おすすめは下記の2つである。
デ・キリコ アートギャラリー (画集)
日本語で出版されたデ・キリコの画集は意外と少ない。そのような状況の中、貴重な日本語画集の一つが「デ・キリコ アート・ギャラリー」である。
表紙は高級感のあるブラックで統一、サイズが31×31cm、総ページ数は100という、重厚で見ごたえのある画集だ。また、作品と共に、詳細な解説も付け加えられている。
デ・キリコが好きな人は、永久保存版として買いたい一冊といえるだろう。
デ・キリコ大特集 (解説本)
デ・キリコ大特集は後述する回顧展に合わせて2024年に出版された、解説本 (ムック本) である。作品解説は専門用語を使わないで平易にされており、初心者でも安心の入門書のような一冊となっている。
また、ビジュアルも豊富に掲載されているので、見ているだけでも楽しめるはずだ。さらに、この本には「入場料金100円割引券」が付いているのも (デ・キリコ展に行く人には) 嬉しい特典である。
この類の書籍はしばらくすると売り切れて新品入手が難しくなるパターンが多いので、気になる人は早めにチェックしておくとよいだろう。
回顧展 (デ・キリコ展 2024)
2024年開催のデ・キリコ展 (東京都美術館4月27日~8月29日 / 神戸市立博物館9月14日~12月8日) は、日本では10年ぶりの大規模な回顧展になっている。
展示される作品点数は100点以上なので、地理的に見に行ける距離でタイミングが合うなら、生でまとまった数の作品を見れる大きなチャンスである。
そのときは、先ほど紹介したデ・キリコ大特集などの解説本で予習してから鑑賞すると、より深く楽しめるはずだ。
デ・キリコの雑学
最後にデ・キリコに関する雑学をいくつか紹介する。
おまけのようなものなので、興味のある人だけ読んで欲しい。
通りの神秘と憂愁とルパン三世の関係
ルパン三世は多くの人が知っているアニメシリーズだろう。その中の一つ、「ルパン三世 ルパンVS複製人間」というアニメ映画では、「通りの神秘と憂愁」を彷彿とさせる場面が出てくる。
具体的には、ルパンが敵のアジトで目覚めた後、輪を転がす少女がいるキリコ作品とそっくりの場所に行くことになるのだ。
また、ルパン映画といえば「ルパン三世 カリオストロの城 (1979年)」が最も有名だが、これは映画シリーズの二作目だ。記念すべき映画化一作目は、今回紹介した「ルパン三世 ルパンVS複製人間 (1978年)」なのである。
通りの神秘と憂愁とICOの関係
ICOはPS2で発売された (後でPS3でも発売) ゲームだ。独特の世界観が特徴的なゲームだが、このパッケージのイラストは「通りの神秘と憂愁」とよく似たもので、それも含めて当時は話題になった。
ちなみに、ICOは個人的にもプレイしたことがある。そのときは、ゲームとしての面白さは薄く感じたが、幻想的な世界観や雰囲気は抜群だと思った。好きな人はハマるタイプのゲームだろう。
パッケージイラストはキリコ作品を意識したのか、無意識に似てしまったのかわからない。ただ、このゲームの雰囲気に絶妙にマッチしているのは間違いない。今でもPS2とPS3、それぞれに対応したソフトが売られている。
デ・キリコは強烈な個性のある画家
デ・キリコは大枠ではシュルレアリスムに属する画家であるものの、その独特の個性と言動から、美術史で位置づけが難しい存在である。
それでも、作品が素晴らしいことに変わりはない。特に形而上絵画時代の作品は独創的で、時代の先を行くものだった。それは、キリコの作品がシュルレアリスムの活動に大きな影響を与えたことからも分かる。
これらの作品はネットでも見られるが、いうまでもなく美術館などで直接作品を鑑賞したほうがより魅力を味わえるはずだ。
もし、美術館に行くことが難しかったり、作品をまとめて確認したりしたい場合には、手元に置いておいていつでも見返せる、画集の購入を検討してみるのもよいだろう。
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