「ドッグヴィル」は2003年にデンマークで制作された映画である。本作は地味な印象のアート系作品でありながら、独創的な制作方法が話題となって日本でも注目を集めた。
今回の記事では、映画のあらすじや感想を通して、改めてその内容に迫っていく。
また、「鬱映画」として紹介されることも多い本作を私なりに徹底分析した、記事後半部分にも注目して頂ければ幸いである。
記事に書かれていること
今回の記事には、次のようなことが書かれている。
・ドッグヴィルの概要とあらすじ
→映画の概要とあらすじを知ることができる。
・ドッグヴィルの感想まとめ
→映画の感想についてまとめて知ることができる。
・ドッグヴィルがおすすめの人について
→どのような人に映画がおすすめなのか知ることができる。
ドッグヴィルの概要とあらすじ
この段落では、映画の概要と基本のあらすじについて、補足的な説明を加えながら紹介していこう。
概要
基本的な概要は以下の通りである。
・映画名→ドッグヴィル (Dogville)
参考引用:映画 ドッグヴィルより
・監督&脚本→ラースフォントリアー
・撮影→アンソニー・ドッド・マントル
・編集→モリー・マーリーン・ステンスガード
・制作→ヴィベク・ウィンドレフ
・総指揮→ペーター・オールベック・イェンセン
・制作国→デンマーク、スウェーデンなど
・公開日→2003年 (デンマーク)、2004年 (日本)
・上映時間→178分 (約3時間)
・グレース役→ニコール・キッドマン
・トム・エディソン役→ポール・ベタニー
・リズ役→クロエ・セヴィニー
・ジャック役→ベン・ギャラザ
・ナレーション→ジョン・ハート
注目すべき点の一つは、監督のラースフォントリアーと主演のニコール・キッドマンのコンビといえる。
ラースフォントリアーは「ダンサーインザダーク」で第53回カンヌ国際映画祭パルム・ドールを受賞している実力派の監督である。
ニコール・キッドマンはいうまでもなく、アメリカの有名女優だ。作家性の強い作風であるトリアーの作品に、ハイウッドセレブのキッドマンが出演したことも当時は話題となった。
映画そのものは「白線が引かれただけのセット」、「各章ごとの構成&ナレーションを使った状況説明」、「暗くて重いテーマ」と実験的な色合いが非常に強い。
一言でイメージしやすいようにいうと、「豪華な俳優陣を演劇舞台のようなセットで演じさせ、撮影した映画」ということになるだろう。
なお、この映画は「機会の土地-アメリカ 三部作」というテーマで作成された最初の作品である。一連のシリーズの次作がマンダレイ (2005年)、最後がワシントン (無期限延期) となっている。
あらすじ
大まかなあらすじは下記の通りである。
舞台は大恐慌時代のロッキー山脈の廃れた鉱山町ドッグヴィル(犬の町)。医者の息子トム(ベタニー)は偉大な作家となって人々にすばらしい道徳を伝えることを夢見ていた。
そこにギャングに追われたグレース(キッドマン)が逃げ込んでくる。トムは追われている理由をかたくなに口にしないグレースを受け入れ、かくまうことこそが道徳の実践だと確信し、町の人々にグレースの奉仕と引き換えに彼女をかくまうことを提案する。
グレースは受け入れてもらうために必死で努力し、町の人と心が通うようになる。しかし、住人の態度は次第に身勝手なエゴへと変貌していく。
引用元:https://ja.wikipedia.org/wiki/ドッグヴィル#第7章
大枠で考えればストーリーは分かりやすい。その軸は、美しき逃亡者であるグレースと医者の息子トムとなる。
二人のやりとり、閉鎖的な村の出来事や交流を描きながら、ストーリーはゆっくりと動いていく。
初めて映画を見る人はまず、独創的なセットと演出方法に驚き、閉鎖的な村で起こる数々の出来事にも複雑な心境になるはずだ。
ドッグヴィルの感想まとめ
個人的にドッグヴィルの評価をリサーチしてみた。その評価を「肯定的」と「否定的」にそれぞれ分け、私個人の言葉に置き換えて紹介する。
まず、独創的な映画の作成方法、見せ方について称賛する意見が目立った。具体的には、演劇のような最小限のセット、そこにナレーターをつける演出などである。
次に出演している俳優の演技についても、みんなレベルが高いと肯定的に評価している人が多かった。
最後にストーリーは万人受けするものではないが、この映画が好きな人々はある意味で人間の本質を描いていると評価していた。
否定的な人々の多くは、映画の制作方法について嫌悪感を示していた。単なる自己満足、これは映画ではないというニュアンスの意見も目立った。
また、ストーリーが悪趣味で最後まで見ていられないとする意見も否定的な人々の中では多数あった。
上記の通り、「ドッグヴィル」はストーリー ・演出・作成方法などについて、個々の好き嫌いがはっきりと分かれるのが特徴となっている。
ドッグヴィルの個人的感想
ここでは、私個人の主観を加えた感想を「魅力」と「欠点」に分けて述べていく。
魅力
個人的に思う、ドッグヴィルの魅力は下記の通りである。
ニコール・キッドマンが美しい
この映画に出演している俳優はみんな素晴らしいが、その中でもニコール・キッドマンは抜群の存在感がある。
作品中での演技力はもちろん、美しい外見も魅力的だ。ニコール・キッドマンという存在が映画全体に華を与え、作家性の強い映画にありがちな地味一辺倒の印象を和らげている。
また、アイドルなどの俗的な美しさではなく、高貴なそれを感じさせるのもよい。映画全体の雰囲気とマッチする、絵画のような深みのある美といえるだろう。
既成概念に捉われない表現の数々
白線を引いただけのセットに代表されるように、この映画には既成概念に捉われない実験的手法の数々が取り入れられている。それを自己満足といって否定する者もいるが、そういう人は余程作品と感性が合わないか、芸術の本質的意味を理解していないのだろう。
事実、この映画で取り入れられた手法の数々は他の作品にも影響を与え、いわゆる「パクリ」を生みだしている。一例を挙げると、ある音楽バンドのミュージックビデオ (MV) は白線を引いただけのセットで撮影されており、ドッグヴィルからインスピレーションを得たことは明らかだ。
仮にドッグヴィルの表現が一部の人間がいうように自己満足なら、わざわざ表現をパクろうと思うだろうか。ちなみに、上記の例に挙げたバンドはメジャーデビューしていることはもちろん、海外でも公演を果たすなど実力派で知られる音楽バンドである。
そのようなプロのバンドが表現を真似するのだから、自己満足であるはずがない。真の創造性や発想力は既成概念に捉われないところから始まる。映画はこうあるべき、という常識に拘る人には向かない作品だが、私のように実験的な表現が好きな人は魅力を感じるはずだ。
芸術性の高さ
既成概念に捉われない表現にも繋がる話だが、ドッグヴィルはとても芸術性が高い。それは退廃的ながらも美しい映像、作品全体の雰囲気や演出、各俳優陣の真に迫る演技力にも表れている。
同じくラースフォントリアー監督作でパルムドールを獲得した「ダンサーインザダーク」のようにこなれていて、一般的なわけではない。しかし、純粋な「芸術性 (創造性)」だけなら、ドッグヴィルのほうが高いと思っている。
ダンサーインザダークのような賞狙いやおもねりが感じられない、ある意味監督が本当にやりたいことをやりきった作品、それがドッグヴィルではないだろうか。今の時代にこれだけ実験的で説得力のある芸術作品を見れることは貴重だ。そして、それを演じるのはニコール・キッドマンという豪華さである。
長さを感じさせない構成
ドッグヴィルは約3時間という上映時間であり、一般的には敬遠されがちな長さだ。3時間と聞いただけで、見るのをやめようと考える人もいるだろう。このように時間的に長いことは確かだが、個人的な感覚では、それほど長さを意識しないで鑑賞することができた。
私が長さを感じないで鑑賞できたのは実験的な作品でありながら、映画としても構成がしっかりとしているからである。これは簡単なようで難しいことだ。事実、構成がしっかりとしていない映画は、30分ですら見るのが苦痛になるはずだ。このような現象は、多くの人が経験したことがあるのではないだろうか。
しかも、ドッグヴィルはほぼ白線だけのセットで物語が進行するので、3時間観客を惹きつけておく難易度は跳ね上がる。自由奔放につくっているように見えて、実は映画としてもしっかりと成立しているのがドッグヴィルの凄いところといえよう。
欠点
個人的に思う、ドッグヴィルの欠点は下記の通りである。
露骨で悪趣味な描写がある
一般的に過激と思われる描写でも、それがしっかりとした芸術性を持っているなら問題はない。しかし、ドッグヴィルの一部分には、芸術性とは別物といえる悪趣味な描写があるのが不快だ。
しかも、その描写は意外としつこく、監督個人の趣味性が色濃く反映されているように感じられてしまう。サラっと流す程度の描き方ならよいが、露骨なので女性は特に嫌悪感が強くなるだろう。
そしてそれが、映画に必然であるとか、監督の作家性であるというほどの説得力はないのだ。全体としては芸術性が高く、各シーンの描写も素晴らしい本作ではあるが、欠点に挙げた一部分に関しては、単なる悪趣味と捉えられても仕方がない。
この映画がおススメの人について
この映画がおススメなのは、下記のような人々である。
補足的に説明すると「鬱映画」とは、普段は見られないような「重い内容の作品」を表す言葉のことだ。
・芸術性が高い映画を見てみたい人
・ハリウッド映画とは違うものを楽しみたい人
・実験的な表現が好きな人
・「鬱映画」を求めている人
逆にいうと、下記のような人々にはおススメできない映画である。
・芸術性の高い映画に興味がない人
・ハリウッド映画のようなエンターテイメントだけを楽しみたい人
・王道の展開以外は認められない人
・「鬱映画」を求めていない人
ドッグヴィルは本物の芸術&鬱映画
ドッグヴィルは嘘偽りのない、本物の尖った芸術作品である。そして、本物の「鬱映画」でもある。世の中で鬱映画が流行ったとき、大したことのない内容でも大げさに宣伝されていたが、これは明らかに違う。
本物であるがゆえに好き嫌いは激しく分かれるが、「芸術性」と「鬱 」というカテゴライズで見れば間違いないく一級品だ。そのどちらかに強く惹かれるものがあるのなら、今から鑑賞しても深く印象に残る作品になるだろう。
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