2020年になった今、2010年代を振り返る

社会

2020年になった。2010年代は去年までで終わった。2000年代、2010年代、2020年代と10年ごとに区切って考えるなら、今年からまた新しい時代が始まったといえよう。そこで、今回は社会と私自身の変化を中心に、2010年代という時代で個人的に印象的だったことを振り返っていきたい。

スマホの普及

スマートフォン (スマホ) の登場はインパクトのある出来事だった。スマホが最初に販売されたのがいつかは知らないが、本格的に普及したのは2010年代に入ってからだろう。いわゆる、感度が高い人は2010年の時点でスマホを所有していたような記憶があるが、私の周りでそれまでのガラケーからスマホに乗り換える人が増えたのは、2011~2012年頃であったように思う。

2010年は当たり前のように多くの人がガラケーを使っており、2011年になってスマホに乗り換える人が現れ始め、2012年頃にはガラケーでは恥ずかしいみたいな雰囲気になった。実際、2012年末の時点で、多くの人がガラケーからスマホへの乗り換えを済ませていた。

そのような社会や周囲の変化のなか、基本的に保守的な私はガラケーからスマホに乗り換えるタイミングを逃した。最初は悠長に構えていたものの、多くの人がガラケーからスマホに変えていく光景を見て、焦りを感じ始めた。結局、何だかんだで私がスマホを所有するようになったのは、2014年になってからである。最初はその必要性に疑問もあったが、今では他の多くの人と同様、日常生活に欠かせない便利なアイテムの一つとなっている。

ゲームの完全なる市民権獲得

ゲームとは、TVゲーム全般のことである。私は学生時代にゲームオタクだった時期があり、ゲームの歴史についてもファミコン時代から熟知している。最初はコンシューマーと呼ばれる家庭用ゲーム機が主流の時代であり、それから携帯ゲーム機の存在感が増し、さらにグリーなどの課金系ゲームやスマホアプリ系ゲームと発展していく。2020年現在では、スマホアプリ系のゲームを中心に、コンシューマーもVR (ヴァーチャルリアリティ) やゲーム動画配信などで盛り上がりを見せているといえる。

そのようなゲーム全般が完全に市民権を獲得したといえるのは、2010年代だった。もちろん、それまでも話題のソフトやハードが発売される度に世間の注目を集めていたが、どうしても中高年層には「子供のおもちゃ」や「青少年に悪影響的なネガティブなイメージが付きまとった。その全体的な勢力は、2010年代から確実に減少してきたのではないか。

その証拠に、アプリ系のゲームを中心に幅広い年齢層がゲームを楽しむようになった。たとえば、一時期話題となったポケモンGOを長く楽しんでいる層は、個人的感覚でいえば若年層よりも中高年層のが多い印象である。そして、ゲームの世界でもグローバル化が進んだ。海外では eスポーツやプロゲーマーという職業が注目されており、YouTubeを中心としたゲーム動画配信は日本を含めて世界的に人気なっている。これらの現象もまた、ゲーム産業が確固たる社会的地位を築いた証左といえるだろう。

ファッショントレンドの大きな変化

ファッション業界はトレンドの変化が激しいが、感度の高い人が気にするような細かいところだけではなく、一般の人にも影響のある大きな変化が起きたのも2010年代である。具体的にどのような変化かというと、基本的なシルエットの大幅な変更だ。ここでわざわざ述べなくても多くの人がすでに認識しているだろうが、全体的にビックシルエット化が進んだといえるだろう。

また、2000年代の終わり頃から勢力を増してきたユニクロに代表される「ファストファッション」はさらに勢いづき、より洗練されてきた印象である。この現象はアパレル全体に影響を与え、一部の高級店やブランド以外は低価格路線に舵を切ったと思う。たとえば、一昔前はある程度の地位があるセレクトショップは例えオリジナル商品でも価値を感じたものだが、そのような感覚は薄くなってしまったように感じるのだ。

実際、身も蓋もない言い方をすれば、多くのセレクトショップのオリジナルを中心とした商品群は値段が安くなった分、製品のクオリティも落ちたと思う。そして、高級感も無くなった。逆にいえば誰もが気軽に手を取りやすくなったともいえるが、ファッションに「自分だけの拘り」や「特別感」を求める風潮が以前よりも薄くなってきたのが2010年代の特徴だろう。

社会全体の右傾化

「ネトウヨ」という言葉が盛んに使われ始め、社会全体に右寄りな雰囲気が漂い始めたのは2010年代に入ってからではないだろうか。最初はネットスラング的に使われていた言葉も一般に普及し、同じく初期はネットだけで完結していた極右的な考えや雰囲気も、実社会に少しずつ根付いていった。

このような考え方が社会に根付く過程では、かなり偏った極論のような意見がまかり通る雰囲気があったが、現在は少しずつバランスが戻ってきているのではないか。また、見逃せない点はこの時代の社会の雰囲気に便乗し、個人の売名やビジネスに繋げようとする輩が多かったこと (今でもたくさんいるが) だろう。

2020年代のキーワードと展望

2020年代はどのような時代になるのであろうか。実際にどのような時代になるのかは体験してみないと分からないが、個人的な願望なども含めながら考えてみたい。

クリエイティブな時代

私は小さいころにクリエイティブな仕事に憧れていた。きっかけはあるゲームに感動したことで、そこから音楽や映画、アート全般に興味は広がっていった。2020年代は単に経済的に儲けが多い企業や国家が尊敬される訳ではなく、このようなクリエイティブな要素を持ったものが注目されるだろう。これは現在でも見られる現象だが、より一層社会全体でその流れが加速するはずだ。

もう少し具体的に新時代のキーワードを挙げるとすれば、「デザイン」や「アート」も同様に含まれる。デザインやアートを含めたクリエイティブな要素は先進国の基準の一つとなり、企業活動においても必須の要素となるはずだ。逆にいえば、このような感覚を理解できない国家や企業は落ちぶれていくことになるだろう。

個の時代

「誰もが15分間は有名になれる時代が来る」とは、アンディ・ウォーホルの有名な発言である。ウォーホルは故人となってしまったが、まさしく、この言葉通りの時代が現代といえる。すでに「YouTuber」や「インフルエンサー」という言葉は世間に定着しているが、クリエイティブと同様に、その流れが加速していくということである。

また、少し別の視点からいえば、フリーランスや副業といった働き方も世間の注目を集めている。これらも「個の時代」の象徴といえるものであり、普通に考えればその価値観が更に普及していくはずだ。2020年の年明け時点ではまだまだ保守的な意見や考え方も根強いが、個人が活躍するための環境整備は着々と進むだろう。

根本的価値観が大きく変化する時代

IT化は随分昔から使われている言葉だが、その流れが企業活動だけではなく、個人や社会全体により広く定着、細分化していったのが2000年代後半~2010年代だと思う。そして、これからは様々な場所でいわれているように、日常生活のあらゆるものがデジタル化されるだろう。

また、2010年代に加速したグローバル化も更に進むはずだ。グローバル化と社会のデジタル化は密接に結びついており、情報や人々の交流もより活発になるだろう。このような状況の中、日本社会はそれまで持っていた「根本的な価値観そのもの」について変革を迫られる。つまり、2020年代は本当の意味で社会全体のパラダイムシフトの時代となるのだ。


具体的には、封建的価値観や極端なまでの集団主義的価値観が大きく変化する可能性がある。社会全体がデジタル化され、グローバル化が進み、個々がクリエイティブな仕事をするような時代には、これらの価値観は時代遅れだからである。もちろん、まだまだ封建的価値観や集団主義的価値観は日本に根強く残っているが、現代社会においてはマイナスにしかならないといっても過言ではない。

そのため、いつまでも社会全体が変革を拒みこのような価値観に固執するなら、日本は世界基準から置いていかれ落ちぶれることになるだろう。そのような意味で、2020年代は日本社会が根本から変われるかどうかの、重要な分岐点となるはずである。

コメント

最近のコメント

    error: クリックできません。
    タイトルとURLをコピーしました